画廊若林’s blog

画廊若林は名古屋市東区葵にある画廊です。 展覧会やアート情報について紹介しています。

愛知芸術文化センター「カンディンスキーと青騎士展」2011/2/15~4/17

昨日からスタートした愛知芸術文化センターの「カンディンスキー青騎士展」に行ってきました。

■ 公式サイト:http://www.aac.pref.aichi.jp/frame.html?http://www-art.aac.pref.aichi.jp/
地下鉄「栄」駅から、徒歩3分。市バスや名鉄電車の駅からも徒歩2分ほどでとても便利な場所にあります。
オアシス21から地下連絡通路または二階連絡橋が直結しています。

会期は、2011年2月15日~4月17日です。
※基本的に月曜日が休館日ですが、詳しくはHPでご確認ください。

今回の「カンディンスキー青騎士展」では、世界一の青騎士コレクションを誇るミュンヘン市立レンバッハハウス美術館の全面的な協力のもとに、所蔵品から厳選された約60点(うち、カンディンスキー約30点)が展示されています。


会場に入った最初の展示室には、19世紀末以来、芸術の都ミュンヘンのイメージをつくり上げた立役者であるレンバッハとシュトゥックの作品が展示されています。

フランツ・フォン・レンバッハ(1836-1904 )
ミュンヘンの19世紀末、もっとも偉大な肖像画家として、芸術的にも経済的にも成功を収めていました。彼の住居兼アトリエだった邸宅が、現在、レンバッハハウス美術館となっています。(2012年まで工事中)

自画像を含めて、何点か肖像画があったのですが、目を引くのはやはり、
オットー・フォン・ビスマルク侯爵≫1895、油彩
統一ドイツの初代帝国宰相、ビスマルク
上流階級の人々に人気の肖像画家であったそうだけど、首相の肖像まで描いていたとは、歴史的な意味でも、とても興味深かったです。

そして、そのレンバッハの覇権に抵抗した「ミュンヘン分離派」のもっとも傑出した会員の一人がシュトゥック、もう一人のミュンヘンアートシーンの立役者です。

フランツ・フォン・シュトゥック(1863-1928 )
象徴主義的で世紀末の雰囲気に満ち溢れた神話を題材にした絵を制作しました。
≪闘うアマゾン≫1897、油彩
はっきりとした色彩でアマゾネスが持つ赤い盾とバックの青空が印象的でした。

このシュトゥックに学んだあらゆる芸術家の中で、もっとも有名で影響力があったのがカンディンスキーで、パウル・クレーやジョーゼフ・アルバースも彼の教え子だったそうです。

次の展示室からはカンディンスキーを主として、彼の伴侶でもあったミュンターなどの彼と交流のあった画家たちの作品が展示されています。
当時の写真もたくさん展示されていて、とても面白かったです。
その画家たち自身や彼らが存在した世界をこっそり切り取ったようなスナップ写真と、作品とを一緒に見ていると、時空を飛び越えた親近感が湧いてきて不思議な感じがしました。


ヴァシリー・カンディンスキー(1866-1944 モスクワ生まれドイツで活動した画家)

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抽象絵画の開拓者、ドイツ表現主義者の芸術家グループ「青騎士」を旗揚げしました。


モスクワに生まれ、モスクワ大学で法律と政治経済を学ぶも、画家を志しミュンヘンで絵の勉強を始め、ドイツ、フランス、ロシアで活動。

展示は3つの段階に分けられ、第一章は、「フォーランクスの時代――旅の時代 1901-1907」。

初期の頃の作品のペインティングナイフを使用した風景画が何点かあったのですが、ペインティングナイフでつけられた凸凹した絵具の感じや色合いがとても素敵でした。

油彩だけではなく、グアッシュやテンペラを用いた作品も展示されていました。
≪花嫁≫1903、グアッシュ

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明るい色彩でメルヘン的な雰囲気の作品です。
彼は恋人、ミュンターに宛てた手紙の中で「ファンタジーや解釈の可能性が多ければ多いほど良い。」と書いていたそうです。


≪ガブリエーレ・ミュンターの肖像≫1905、油彩

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カンディンスキーが生涯で描いた唯一の肖像画です。


もともと彼女はカンディンスキーの生徒の一人だったそうです。


その頃、彼にはすでに妻がいましたが、宗教上、離婚できない彼にとってミュンヘンでの生活は耐えがたく、1904年、ミュンターと共に長い旅にでることになります。


オランダ、チュニジア、イタリア、フランス、ドイツ国内、3年に亘る旅でした。

 


第二章「ムルナウの発見――芸術的総合に向かって 1908-1910」

長い旅を終えて彼らがミュンヘンに戻ったのは1908年。


旅の途中でムルナウという小さな町が気に入った彼らは、友人の画家たちと共に夏を過ごし、制作に励んだそうです。


1909年にはカンディンスキーの熱心な勧めによって、ミュンターはムルナウに家を購入しました。

ムルナウ滞在を機に、カンディンスキーの作風に新たな展開が生じます。

ペインティングナイフから絵筆に持ち替え、筆触は表現的に、色彩は強度を増し鮮烈なものとなっていきます。

ムルナウ≫-≪塔のある風景≫のための習作 1908、油彩、グアッシュ

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そのムルナウで共に制作に励んだ画家ヤウンスキーとヴェレフキンの作品も展示されています。

ムルナウの風景≫1909、油彩
アレクセイ・ヤウンスキー

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第三章「抽象画家の誕生――青騎士展開催へ 1911-1913」

1911年、盟友フランツ・マルクと出会い、共に行ったシェーンベルクの音楽に感銘を受け、その時の印象をもとに描かれたのが、
≪印象Ⅲ(コンサート)≫1911、オイルテンペラ

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この時期、カンディンスキーの絵画はますます抽象化へ進んで行きました。


1911年12月、第一回青騎士展を開催。
1914年の第一次世界大戦勃発までミュンヘンをヨーロッパの前衛芸術の中心の一つにすべき活動を果敢に展開しました。


現在、レンバッハハウス美術館は、2009年の春から2012年にかけて大掛かりな改造と拡張工事を行っています。
そのため、ヨーロッパの20世紀初頭におけるもっとも重要な前衛芸術家グループの一つである「青騎士」の作品の一部が貸し出し可能となったそうです。
例外的であまりない貴重な機会なので、足を運んでみてはいかがしょう。



合わせて公開されている所蔵品展も2010年に新しく所蔵された作品が多く展示されていて、見ごたえがありました。
所蔵品展について詳しくはまた別でお伝えしたいと思います。


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